こんにちは。株式会社ゼニタの服部でございます。本日は、障害受容と障害適応についてお話をさせていただきます。

アメリカにおける障害受容の起こりとして、1960年代にアメリカでは、身体的障害を負った障害者にみられる共通の心理的反応として、「悲嘆(あるいは悲哀)」という考え方が導入されました。日本における障害受容の概念は、心理学者の高瀬によって1950年にアメリカから導入され、「障害受容とは、障害によって変化した諸条件を心から受け入れること」と定義されました。

その後、1980年代に入り、上田によりリハビリの問題解決のカギとなる概念として「障害受容とは、諦めでも居直りでもなく、障害に対する価値観の転換であり、障害を持つことが自己の全体としての人間的価値を低下するものではないことの認識と体得と通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずること。」と定義されました。

障害を受容するということは、単に障害の回復をあきらめ、障害を持ったままで生きていくという訳ではありません。人は通常、相対的価値観で自分の価値を決めています。すなわち「他人よりどれだけ自分が優れているか」で自分の価値を決めているのです。

「人が障害を受容するためにはいくつかのステップが存在する」という考えを『ステージ理論』と呼び、心理状態の変化について上田は、第一段階:ショック期、第二段階:否認期、第三段階:混乱期(怒り・恨みと悲嘆・抑うつ)、第四段階:解決への努力期、第五段階:障害の受容期の5段階に整理しました。

「障害受容」の概念は1950年前後から米国で用いられ始めたと前述しました。 Grayson Mによれば、障害の受容の段階には大きく分けて、第1段階:個人的な要因群:個々の身体的な障害や性格などパーソナリティー構造に由来するもの、第2段階:社会的な要因群 障害にある個人に対して、社会の側から個人に課せられる要因に由来するものに分けています。『自己受容』『社会受容』がなされることで始めて『障害受容』が完成すると考えました。

日本では、前述したアメリカにおける『自己受容』のみが強調され、『社会受容』の部分が希薄であると言われています。社会受容の考え方について、障害を否定的に捉える背景には社会規範や価値、規則が存在しており、これらのことを踏まえて考えを深める必要があります。

近年は、障害者に重要なことが、単にその状況を受け入れること(障害受容)ではなく、状況に合わせて自身の生活や考え方を変えていくことであると広く認識されるようになってきました。そこで、『障害受容』という用語の代わりに『障害適応(adaptation of disability)』という概念を用いることが多くなりました。『ステージ理論:障害受容の5段階』において、実際に全てのステージを進んで第5段階(障害受容)に達することは、非常に難しいものがあります。そんな意味でも(本来の意味での障害の受容にまで達せられる障害者は少なく)、むしろ多少の不満はもちながらも自分の障害に適応して上手く対処することができるようになることが(障害受容ではなく障害適応)、すべての障害者が目指すリハビリテーションの目標になるのではないでしょうか。

現在、パラリンピックが行われています。多くの選手が障害とどのように向き合ってきたのでしょうか。「障害を受け入れることは、諦めることではない―」アナニアス・シコンゴ選手、「障害は限界を課すものではなく、チャレンジする機会を与えてくれるもの」シコンゴ選手、「道は一つでなく、他にも選択肢がある。」ジェシー・チェン選手、「自分の限界は自分で決める」マルクス・レーム選手、「違っていることは、全てかっこいい」ベアトリーチェ・ビオ選手、「やってみれば、何でもできる」ヨハネス・フロアス選手、「あなたはできる。その言葉が自信を育み、道を開く」パルル・パルマル選手、「当たり前だと思わず、感謝すること。」フラー・ヨンク選手。選手の言葉の一つ一つが未熟である自分に響きます。

リハビリテーション医療に関わる者として一人の人として、人間的に成長し少しでも自分を必要とする方々に寄り添う事ができ、共に目標を達成できる存在となれるように日々努力をします。