こんにちは!千種さわやかクリニック通所リハビリテーションの理学療法士・柔道整復師・鍼灸師の新田と申します。
前回は、中学生時代についてと関西高校に行くことになったことまでお話ししたので、今回は関西高校での出来事をお話ししていこうと思います。
岡山の関西高校は2000人以上いるマンモス高校の男子校です。一人っ子である私を出しましたのでそれは両親は心配したと思います。知らない地方で一人でも暮らしていけるのか。洗濯物や料理などの家事がすべて一人でできるのだろうかと…内心相当心配したことでしょう。
また、カットマンで島根県チャンピオンにもなったことのある同級生も関西高校に入学することが決まりました。私も何度か対戦しましたが、当時負けてましたね。
岡山に行くことになったのも卓球クラブの先生のおかげです。正直、今思えば男子校ではいい勉強になりましたし、感謝しています。当時の岡山県のレベルは高かったです。部員は10名くらいで、一つ上の2年生には全国ベスト4の強者がいました。はっきり言って、とんでもない強さでしたね。しかも男子校に圧倒されたのを覚えています。
今度は関西高校での練習と生活についてお話していこうと思います。
生活は、県外の人たちが集まった下宿で暮らすことになりました。そこでの生活は大変でしたね…今では考えられないこともいっぱいありました。風呂焚きから掃除まで、1年生は下っ端でしたから雑用はすべて率先してやっていました。
卓球部の練習では、1年生は先輩がやっている試合の玉拾いから始まりました。玉拾いをしながら先輩の技術をみてましたね。部内リーグをしても最初は勝てなかったのを覚えています。岡山県でもベスト8以上の強者でしたから…。それでも、好きだったので練習していましたね。高校1年の新人大会までずっと……。
新人大会は同期の県チャンピオンくんも出場します。同期はなんと3人…なんとも寂しい感じでしたが、みんなで頑張っていたのを覚えています。部内リーグなどもありましたが下位でしたね“笑“。
県大会新人戦は印象深い出来事でした。なんと準優勝できたのです。まさかそんなに勝てるとは思わなかったのでびっくりしましたね。優勝者は今後3年間ライバルとなる玉野光南高校の人でした。いつも私が勝てなかった同期のカットマンくんはベスト4で負けてしまっていたので、私がまさか準優勝できるとは思いませんでした。でも、準優勝の嬉しさはありましたが、それ以上に優勝できなかったのが悔しかったですね…関西高校のためにも…
今日はここまで、今度は1年生の夏、7月インターハイ予選になります。なにか色々と思い出しますね。それではまた!!蒸し暑い時期ですので、水分をとって、食事をとって熱中症予防と夏バテにつとめましょう。今日も読んでいただいている方がいればありがとうございます。
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