こんにちは!
千種さわやかクリニック通所リハビリテーションの理学療法士・柔道整復師・鍼灸師の新田と申します。
6月に入りましたね。梅雨が続きますが、体調にお気をつけくださいませ。

今回は、中学に入って掛け持ちでクラブで練習する日々からの続きをお話しします。

卓球クラブでは、合宿や泊まり込みで練習するなど、朝から晩まで卓球漬けだったのを覚えています。中学1年の時には、練習試合や、本試合など多くなり、休みの日はだいたい毎日のように朝から晩まで練習していましたね。それでも、なかなか勝ち癖をつけるまではいかなかったので、もっと幼少期から卓球をしておけばよかったなーと大学生の時には思いました。

中学2年では、キャプテンを務めておりました。町内大会の一般のシングルスの部でも、ベスト4くらいに入れるようになり、鹿足郡の大会でもベスト4くらいには入れるようになっていました。県大会では勝てませんでしたが“笑”
なぜ私は勝てないのだろうとずっと悔やんでいた覚えがあります。

 

中学2年の時までは、私はこのまま近くにある明誠高等学校に入学して卓球生活を送るのだろうと思ってました。なので、中学の時には、明誠高等学校に練習にいったり、鹿足クラブやATSというクラブに練習に行ったりしていました。

運命は中学3年の時に起こります。
町内大会は大人がいても優勝できるようになっていましたが、鹿足郡ではシングルス2位、、、1位の方は他の中学の同級生のカットマンでした。その方には本試合になると勝てなかったのを覚えています。
中学3年の時にシングルス県大会ベスト8になりました。うれしかったですが、また1位にはなれず、ライバルのカットマンの子が優勝していました。何度も対戦して仲が良かったので優勝したことを賞賛したことを覚えています。

周りの皆様の支えもあって県大会ベスト8まで行ったことで、岡山にある関西高校から卓球で岡山に来てみないかと話が来ました。えっ?岡山関西高校…全国レベルです。当時、関西高校には全国シングルスベスト4の人が先輩にいて、その弟くんは全国チャンピオン。とんでもないくらい強かったですね。私がそんな高校に行けるのかと思ったくらいです。

だけど、それだけ強い高校に行けたらきっともっと強くなれると思い、両親に相談し岡山に行くことを決意しました。その当時、島根県からもう一人、同期で県チャンピオンの子も同じ関西高校にいくことになりました。

よく一人っ子の私を両親も出してくれたと思います。感謝しかありません!『ありがとう』

 

続きは次回!
新型コロナが無事に収束することを願います。
皆様も充分体調にはお気をつけくださいませ。それでは!