こんにちは!千種さわやかクリニック通所リハビリテーションの理学療法士・柔道整復師・鍼灸師の新田と申します。

 

今回は、日本体育大学卓球部のセレクション1位から、入学が決定したところからお話していきます。

日本体育大学への入学に伴い、高校3年生の冬に関東に行くことが決まりました。日本体育大学卓球部男子は当時、関東学生卓球部連盟で3部に降格したばかりでした。関東学生連盟は当時7部リーグまでありましたが、まさか日本体育大学男子卓球部が降格しているとは思いませんでした。

 

ちなみに一つ上のキャプテンをしていた人は中央大学へ入学、中央大学は関東学生卓球部連盟の1部リーグで優勝するレベルの大学です。関東を制するものは全国を制するという言葉が当時ありました。

 

関西高校では、色々な人と巡り合い、たくさんの事を教えてもらって、泣いたり、ケンカしたり、下宿暮らしになったり、色々な部に友達ができたり、夜に卓球の練習したり、下宿のみんなで遊んだり。学校のクラスのみんなが男子だったり…(笑)たくさんの思い出をもらった高校生活でした。本当に巡り合ったみんなに感謝をしています。この年になって思いますが、めぐり逢いとは偶然なのではありますが、必然でもあるのではないかと思います。今も楽しい高校生活で感謝の気持ちでいっぱいです。また岡山の皆様にもお会いできる日が来ることを祈りながら新型コロナが明けるのを待ちます。

 

大学へ進学が決まったあとも卓球部の練習は続いていました。進学が決まった後に高校の監督から『日本体育大学を関東学生連盟の1部リーグに上げてきなさい』と言われたことを覚えています。その時は大変さをわかっていませんでしたが、入学した後、3部から1部リーグに上げるのはいかに大変なのか実感しました。

 

日本体育大学へ入学する同期は、青森から1名(この同期が青森弁で強い!)、栃木から1名、愛知県から1名、山口県から1名の計5名でした。入学してから、卓球はいいとしても日本体育大学ですから…男子寮は厳しい規則がありました。私はその厳しさを知っていましたので入寮しませんでした(笑)同期も1名だけ入寮したのみでアパート暮らしでした。

 

関西高校の時に中国人に練習を受けた時に比べて日本体育大学卓球部の練習は午前中だけなど、楽でしたね。こんなんで3部から上がれるんだろうかというような練習内容でした。少しずつ変えないといけないなと思いました。

 

それよりも、入学した当初にあるエッサッサと集団行動などがあるオリエンテーションがきつかったのを覚えています。大学生活の続きはまた今度です。

 

今日はここまでにしましょう。暑い日が続きます。体調に気を付けて、夏を乗り切りましょう!それでは!