お疲れ様です。千種さわやかクリニック通所リハビリテーションで働いています、理学療法士、鍼灸師、柔道整復師の新田です。東海地方もとうとう梅雨に入りしましたね。体調を崩しやすい季節ですのでお気を付けくださいませ。

今回は『小学校6年で中学校の卓球部に練習に行く』の巻きです。今現在の卓球をやっている小学生もしくは幼児であれば強いクラブに行って練習するのはもう当たり前の時代です。小さい子どもが大人に勝つというのはもう卓球界では普通の出来事です。福原愛ちゃんなんて小さい頃から始めてましたね。私はどちらかというと、卓球をやり始めるのが遅い方でした。センスもなかったですし…“笑”こう思い返してみると懐かしい思い出がたくさん蘇ります。

小学5年から始めたピンポンから、一人で中学校に練習にいく日が始まります。確か、金曜日は20時からクラブで練習、土曜日は1日中中学校で練習だったような気がします。中学校は日原中学校というところにいって練習してました。当時の中学校卓球部は以外と強くて島根県西部でベスト4くらいでしたでしょうか。

中学校の人と練習する時は、必死でミスしないようにしていました。中学2年生や3年生が教えてくれるので、小学6年の私にとっては絶好の練習相手でした。中学生と試合して負けては「なにくそ」精神で練習に励み、だんだん、中学生とも卓球によって仲良くなっていきました。

中学校の中でも強い人たちは、奥の方で練習していました。当時の私では相手にならないので強い人たちはまだ相手をしてくれませんでしたが、どうにか練習してみたいという想いがあり、さらに卓球にのめり込んでいきました。(当時小学校の勉強と卓球を両立しながらしていましたが…)だんだん土曜日以外に行ける曜日は夕方に中学校に練習しにいくようになりました。そのうちもっと練習したいと言い始めて母に迷惑をかけていましたね。今私は2児の父をしていますが、今考えると感謝しかありませんね。

金曜日20時から行っていた鹿足クラブの大人の人たちから、試合にでてみるといいと言われて、地区の日原町立卓球大会に初めて参加したのを覚えています。小学校の部はなかったと思いますので中学生と試合をすることになります。すぐに負けましたね“笑”

負ければ負けるほど、練習したくなります。当時ナンバーワンになることを目指していたのでしょう。とにかく練習しなきゃと、(当時は理学療法士の免許もなかったので我武者羅にやっていましたが、理学療法の勉強をするようになって、感覚と戦略が大事だったんだなーっと今になって思います)質より量をとっていました。

 

卓球の奥深さにどんどんのめり込むことになっていきました。中学校に入り、やっと卓球部に入部することになり、毎日練習できると思って喜んでいたのを覚えています。小学校から練習に行っていたのでだいたい顏なじみの人ばかりで、授業が終わったら、すぐに隣の体育館に行って練習できるとワクワクしていました。目がキラキラしていると言われたことがあります。水を得た魚のように毎日楽しかったですね。

 

ちなみに私が最初使用していたラケットは「ペン」でした。また詳しくラケットやラバーの種類があるので説明してみますね!

 

中学校に入ってからは部活ですので練習試合や本試合が増えていきます。続きはまた次回…。また気軽に話をしてください!それではまた!!